繼母なりし人、くだりし國の名〔上總〕を宮にも言はるゝに、こと人かよはして後も、猶その名をいはるゝと聞きて、親の今はあいなきよし、言ひにやらむ、とあるに、
あさくら〔神樂歌の曲〕や今は雲井に聞くものを〔他人の妻となりしをいふ〕猶木のまろが名のりをやする
斯樣に、そこはかとなき事を思ひつゞく。
國にて物詣を僅にしても、はか〴〵しく人の樣(やう)ならむとも念ぜられず。このごろの世の人は、十七八よりこそ經よみ行をもすれ。さること思ひがけられず、辛うじて思ひよる事は、いみじくやむごとなく、形有樣、物語にある光源氏などやうにもおはせむ人を、年に一度(ひとたび)にても通はし奉りて、浮舟の女君のやうに、山里にかくし居ゑられて、花、紅葉、月、雪をながめて、いと心細げにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめと許思ひつゞけ、あらましごと〔豫想〕にも覺えけり。



