更級日記 - 33 東にくだりし親

東にくだりし親、辛じてのぼりて、西山なる所におちつきたれば、そこに皆渡りて見るに、いみじう嬉しきに、月のあかき夜ひと夜物語などして、
かかる夜もありけるものを限とてきみにわかれし秋はいかにぞ
といひたれば、いみじく泣きて、
おもふことかなはずなどといとひこし命のほども今ぞうれしき
これぞ別の門出と、言ひ知らせしほどの悲しさよりは、たひらかに待ちつけたる嬉しさも限なけれど、人のうへにても見しに、老い衰へて、世に出でまじらひしは、
をこがましく見えしかば、我はかくてとぢ籠りぬべきぞ」とのみ殘なげに世を思ひいふめるに、心ぼそさ堪へず。東は野のはるとあるに、東の山際は、比叡山(ひえのやま)よりして稻荷などいふ山まで、あらはに見えわたり、西は雙岡(ならびのをか)の松風、いと耳ちかう心ぼそく聞えて、内にはいたゞきのもとまで、田といふもののひた〔鳴子板〕引きならす音など、田舍の心地していとをかしきに、月のあかき夜などはいとおもしろきを、眺めあかし暮すに、知りたりし人、里遠くなりて音もせず。便(たより)につけて、「何事かあらむ」とつたふる人に驚きて、
おもひ出でて人こそ問はね山里のまがきの荻にあきかぜぞ吹く〔新拾遺集秋上にあり〕
といひてやる。

更級日記 - 34 十月になりて、京にうつろふ