ひじり〔高僧〕などすら、前の世のこと夢に見るは、いとかたかンなるを〔難き事にあるを〕、いとかう跡はかないやうに、はか〴〵しからぬ心地に見るやう、清水の禮堂(らいだう)に居たれば、別當とおぼしき人出で來て、「そこ〔君〕は、さきの生(しゃう)に、この御寺の僧にてなむありし。佛師にて、佛をいと多くつくり奉りし功徳によりて、ありしすざう〔種性なるべし〕まさりて、人と生れたるなり。これは御堂の東(ひんがし)におはする丈六の佛は、そこの作りたりしなり。箔をおしさして、なくなりしぞ」と。「あないみじ。さば〔しからば〕、あれに箔おし奉らむ」といへば、「なくなりにしかば、こと人、はくおし奉りて、こと人供養もしてし。」)と見て後、清水にねんごろに參り仕う奉(まつ)らましかば、前の世に、その御寺に佛念じ申しけむ力に、おのづから、ようも〔能くも〕
たちやあらまし〔誤脱あらんか〕。いといふ效(かひ)なくまうで仕うまつる事もなくて止みにき。



