更級日記 - 47 さるべきやうありて

さるべきやうありて、秋ごろ和泉にくだるに、淀といふよりして、道のほどの、をかしうあはれなる事言ひ盡すべうもあらず。高濱といふ所にとゞまりたる夜、いと闇きに夜いたう更けて、舟の楫の音聞ゆとふなれば、遊女(あそび)のきたるなりけり。人々興じて、舟にさしつけさせたり。とほき火の光に、單衣(ひとへ)の袖ながやかに、扇さしかくして歌うたひたる、いとあはれに見ゆ。又の日、山の端に日のかゝるほど、住吉の浦を過ぐ。空もひとつに霧りわたれる、松の梢も海のおもても、波の寄せくる渚のほども、繪に書きても、及ぶべき方なうおもしろし。
いかにいひ何にたとへてかたらまし秋のゆふべのすみよしの浦
と見つゝ、綱手ひき過ぐるほど、顧みのみせられて飽かず覺ゆ。冬になりてのぼるに、大江といふ浦に、舟に乘りたるに、その夜雨風、岩も動くばかり降りふゞきて、神〔雷〕さへなりて轟くに、浪の立ち來る音なひ、風の吹き惑ひたるさま、恐しげなること命かぎりつと思ひまどはる。岡のうへに、舟を引きあげて夜をあかす。雨はやみたれど、風なほ吹きて舟いださず。ゆくへもなき岡のうへに、五六日を過す。辛うじて風いさゝかやみたる程、舟の簾卷きあげて見渡せば、夕潮たゞみちに滿ちくるさまとりもあへず、入江の田鶴の聲をしまぬも、をかしく見ゆ。國の人々あつまり來て、「その夜この浦を出でさせ給ひて、石津に著かせ給へらましかば、やがてこの御舟なごりなくなり〔難船して〕なまし」などいふ。心ぼそう聞ゆ。
荒るる海に風よりさきに舟出していしづの浪と消えなましかば

更級日記 - 48 世中にとにかくに