世中に、とにかくに心のみ盡すに、宮仕とても、ことばひとすぢに、仕う奉りつゞかばや、いかゞあらむ。時々立ち出でば、何なるべくもなかンめり。年はやゝさだ過ぎ〔女の盛を過ぎ〕行くに、わか〳〵しき樣(やう)なるも、つきなう覺えなげかるゝうちに、身の病いと重くなりて、心にまかせて物語などせし事も、得せずなりたれば、わくらば〔たま〳〵〕の立ち出でも絶えて、長らふべき心地もせぬまゝに、幼き人々を、いかにも〳〵我があらむ世に見おく事もがな、とふしおき思ひなげき、頼む人のよろこびの程を、心もとなく待ち歎かるゝに、秋になりて〔天喜五年の秋になりて〕待ちいでたる樣なれど、思ひしにはあらず、いと本意なく口惜し。親のをりより立ち歸りつゝ見し東路よりは、近きやうに聞ゆれば、いかゞはせむにて、程もなく下るべき事ども急ぐに、門出は、女(むすめ)なる人のあたらしく渡りたる所に、八月(はづき)十餘日(とをかあまり)にす。後(のち)の事は知らず、そのほどの有樣は物さわがしきまで、人おほくいきほひたり。
廿七日にくだるに、男(をとこ)なる〔仲俊〕は添ひて下る。紅(くれなゐ)のうちたるに、萩のあを〔萩の襖〕、紫苑の織物の指貫著て、太刀佩きて、しりに立ちてあゆみ出づるを、それも〔仲俊をさしていふ〕織物のあをに、緋色の指貫、狩衣〔一本なし〕著て、廊のほどにて馬に乘りぬ。のゝしり滿ちてくだりぬる後、こよなう徒然なれど、いといたう遠きほどならずと聞けば、さき〴〵の樣に、心ぼそくなどは覺えであるに、おくりの人々、又の日かへりて、「いみじうきら〳〵しうて下りぬ」などいひて、「この曉に、いみじく大なる人魂の立ちて、京ざまへなむ來ぬる」と語れど、供の人などのにこそは、と思ふ。ゆゝしきさまに思ひだによらむやは。今はいかで、このこの若き人々、おとなびさせむと思ふより外の事なきに、かへる年の四月(うづき)にのぼり來て、夏秋も過ぎぬ。九月(ながつき)二十五日よりわづらひ出でて、十月五日〔通俊朝臣の卒せられし康平五年〕(*康平元年)に、夢のやうに見ないて思ふ心地、世中にまた類(たぐひ)ある事ともおぼえず。初瀬に鏡たてまつりしに、伏しまろび泣きたる影の見えけむは、これにこそはありけれ。嬉しげなりけむ影は、きし方もなかりき。いま行末はあンべいやうもなし。廿三日、はかなくも煙になす〔火葬にす〕に、去年の秋、いみじくしたて傅かれて、うちそひて下りしを見やりしを、いとくろき衣のうへに、ゆゝしげなる物を著て、車のともに泣く〳〵歩み出で行くを、見いだしておもひ出づる心地、すべてたとへむ方なきまゝに、やがて夢路に惑ひてぞ思ふに、その(*そを?)人やみにけむかし。昔よりよしなき物語、歌の事をのみ心にしめで、よるひる思ひて行ひをせましかば、いとかゝる夢の世をば見ずもやあらまし。初瀬にてまへの度は、稻荷より賜ふしるしの杉よとて、なげ出でられしを、いでしまゝに稻荷に詣でたらましかば、かゝらずやあらまし。としごろ天照大神を念じ奉れと見ゆる夢は、人の御(おん)乳母として内裏わたりにあり、帝、后(きさい)の御蔭(おんかげ)に、かくるべきさまをのみ、夢ときもあはせしかども、その事は、ひとつかなはで止みぬ。たゞ悲しげなりと見し、鏡のかげのみ違はぬ、あはれに心憂し。かうのみ心に物のかなふ方なうて止みぬる人なれば、功徳〔後生菩提の功徳〕もつくらずなどしてたゞよふ。