更級日記 - 49 さすがに命は

さすがに命は、憂きにも絶えずながらふめれど、後の世もおもふに叶はずぞあらむかしとぞうしろめたきに、頼むことひとつぞありける。天喜三年、十月十三日の夜の夢に、居たる所の屋(や)のつまの庭に、阿彌陀佛立ち給へり。さだかには見え給はず。霧一重へだたれるやうに透きて見え給ふを、せめてたえまに見奉れば、蓮花の座の土をあがりたる高さ三四尺(さく)、佛の御丈(みたけ)六尺ばかりにて、金色にひかりかゞやき給ひて、御(おん)手片つ方をばひろげたる樣に、いま片つ方にはいんを作り〔印を結ぶこと〕給ひたるを、こと人の目には見つけ奉らず。我一人見奉りて、さすがにいみじくけ恐しければ、簾のもと近くよりてもえ見奉らねば、佛、「さは此度はかへりて、後むかへに來む」と宣ふ聲、我が耳ひとつに聞き居て、人はえ聞きつけずと見るに、うち驚きたれば、十四日なり。この夢ばかりぞ、後の頼(たのみ)としけるを、

更級日記 - 50 いもとなどひと所にて