富士山(ふじのやま)はこの國なり。わが生ひ出でし國にては、西面に見えし山なり。その山の樣、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山のすがたの、紺青(こんじゃう)を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなく積りたれば、色濃き衣に白き袙(あこめ)〔裝束の時用ゆる短き下著〕著たらむやうに見えて、山の巓(いたゞき)のすこし平ぎたるより煙(けぶり)は立ちのぼる。夕暮は火の燃え立つも見ゆ。
清見が關は、片つ方は海なるに、關屋ども數多ありて、海までくぎぬき〔柵〕したり。煙あふにやあらむ、清見が關の浪も高くなりぬべし。おもしろき事かぎりなし。田子浦は浪たかくて、舟にて漕ぎめぐる。沼尻といふ所もするすると過ぎて、大井川といふ渡あり。水の瀬の常ならず、すりこ〔磨粉〕などを濃くて流したらむやうに、白き水はやく流れたり。



