更級日記 - 38 その後は何となくまぎらはしきに

その後は、何となくまぎらはしきに、物語のことも、うち絶え忘られて、物まめやかなるさまに心もなりはててぞ、などて多くの年月を、いたづらにて臥し起きしに、行(おこなひ)をも物詣をもせざりけむ。このあらまし事とても思ひし事どもは、この世にあンべかりける事どもなりや。
光源氏ばかりの人は、この世におはしけるやは。薫大將(かをるたいしゃう)の宇治に隱しすゑ給ふべくもなき世なり。あな物狂ほしや、
くちをし。如何によしなかりける心なり、と思ひしみ果てて、まめしくすぐすとならば、さても〔其まゝに〕ありはてず、まゐり初めし所にも、かくかき籠りぬるを、實(まこと)とも思しめしたらぬ樣に、人々もつゆ絶えず召しなどする中にも、わざと召して、「わかい人參らせよ」と仰くだれば、えさらず〔已むを得ず〕出したつるにひかされて、また時々出でたてど、過ぎにし方のやうなる、あいなだのみ〔甲斐なき憑み〕の心おごりをだに、すべき樣もなくて、さすがに若い人にひかれて、をりさし出づるにも、馴れたる人は、こよなく何事につけてもありつき顔に、我はいと若人(わかうど)にあるべきにもあらず、また大人にせらるべき覺もなく、時々の客人(まらうど)にさしはなたれて、すゞろなる樣なれど、ひとへにそなた一つを頼むべきならねば、我よりまさる人あるも、羨しくもあらず。なか心やすく覺えて、さるべき折節まゐりて、つれづれ慰むべき人と物語などして、めでたき事ども、をかしく面白きをりも、我が身はかやうに立ち交り、いたく人にも見知られむにも、憚りあるべければ、たゞ大方の事にのみ聞きつゝすぐすに、内の御(おん)供〔參内の御供〕に參りたる折、有明の月いとあかきに、我が念じ申す天照大神(あまてるおんかみ)は、内にぞおはしますなるかし。かゝる折に參りて、拜み奉らむと思ひて、四月(うづき)ばかりの月のあかきに、いと忍びて參りたれば、はかせの命婦は、しる便(たより)あれば、燈籠(とうろ)の火のいとほのかなるに、あさましくおい神さびて、さすがにいとよう物など言ひ居たるが、人ともおぼえず、神のあらはれ給へるかと覺ゆ。
またの夜も、月のいとあかきに、藤壺の東(ひんがし)の戸を押しあけて、さべき人々物がたりしつゝ、月をながむるに、梅壺(うめつぼ)の女御〔藤原生子、内大臣教通の女〕のぼらせ給ふなるおとなひ、いみじく心にくゝ優なるにも、「故宮〔長暦三年にうせし中宮源原〕のおはします世ならましかば、斯樣にのぼらせ給はましや」など、人々言ひ出づる、實(げ)にいとあはれなりかし。
天の戸を雲井ながらもよそに見てむかしのあとを戀ふる月かな

更級日記 - 39 冬になりて