上達部(かんだちめ)、殿上人などに對面する人は、定りたるやうなれば、うひ〳〵しき里人は、ありなしをだに知らるべきにもあらぬに、十月朔日ごろのいと暗き夜(よ)、ふだん經〔常に經よむ事〕に聲よき人々讀むほどなりとて、そなた近き戸ぐちに二人ばかり立ち出でて、來つゝ物語してよりふしてあるに、參りたる人のあるを、にげ入りて、「局なる人々呼びあげなどせむも見ぐるし。さばれ唯をりからこそ、斯くてだに」といふ。今一人のあれば、傍にて聞き居たるに、おとなしく靜なるけはひにて物などいふ、口惜しからざンなり。今一人はなど問ひて、世の常のうちつけの、懸想びてなどもいひなさず、世の中のあはれなる事どもなど、細やかに〔一本「まめやかに」〕いひ出でて、流石にきびしう引き入る方はふし〴〵ありて、我も人も答へなどするを、まだ知らぬ人のありけるなど珍しがりて、頓にたつべくもあらぬほど、星の光だに見えず暗きに、打ちしぐれつゝ、木葉にかゝる音のをかしきを、「なか〳〵に艷にをかしき夜かな。月の隈なくあかゝらむも、はしたなくまばゆかり〔恥かし〕ぬべかりけり。」春秋の事などいひて、「時にしたがひ見る事には、春霞おもしろく、空ものどかに霞み、月のおもてもいと明うもあらず、遠う流るゝやうに見えたるに、琵琶の風香調(ふがうてう)、ゆるやかに彈きならしたる、いといみじく聞ゆるに、また秋になりて、月いみじうあかきに、空は霧わたりたれど、手にとる許さやかに澄みわたりたるに、風の音、蟲の聲、とりあつめたる心地するに、箏(さう)の琴かきならされたる平調(ひゃうでう)の吹きすまされたるは、何の春〔秋の誤か〕とおぼゆかし(*ママ)。又さると思へば、冬の夜の空さへ冴えわたり、いみじきに雪のふり積りひかり合ひたるに、篳篥のわなゝき出でたるは、春秋も皆忘れぬかし」と言ひつゞけて、「いづれにか〔春秋〕御心とゞまる」と問ふに、秋の夜に心をよせて答(こた)へ給ふを、さのみ同じ樣にはいはじとて、
あさみどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月
と答へたれば、かへす〴〵うち誦じて、さば秋の夜はおぼし捨てつるななりな。
今宵より後のいのちのもしもあらばさば春の夜を形見と思はむ
といふに、秋にこゝろをよせたる人、
人はみな春にこころをよせつめりわれのみや見むあきの夜の月
とあるに、いみじう興じおもひ煩ひたるけしきにて、「唐土などにも、昔より春秋のさだめは、えし侍らざンなるを、このかう思しわかせ給ひけむ御心ども、思ふにゆゑ侍らむかし。我が心のなびき、その折のあはれともをかしとも思ふ事のある時、やがてその折のけしきも、月も花も、心にそめらるゝにこそあンべかンめれ。春秋を知らせ給ひけむ事のふしなむ、いみじう承らまほしき。冬の夜の月は、昔よりすさまじき物の例にひかれて侍りけるに、又いと寒くなどして、ことに見られざりしを、齋宮專の御裳着〔萬壽六年齋宮御裳著勅使藏人右兵衞督佐(*右兵衛佐)資通〕の勅使にてくだりしに、曉にのぼらむとて、日比ふり積みたる雪に、月のいとあかきに、旅の空とさへ思へば、心ぼそくおぼゆるに、まかり申し〔御暇乞〕に參りたれば、よの所にも似ず、思ひなしさへ、け恐しきに、さべき〔さるべき〕所に召して、圓融院の御代より參りたりける人の、いといみじく神(かん)さび、古めいたるけはひのいとよし深く、昔の故事(ふること)ども言ひいで、うち泣きなどして、よう調べたる琵琶の御琴をさし出でられたりしは、この世の事とも覺えず。夜の明けなむもをしう、京(みやこ)のことも思ひ絶えぬばかり、おぼえ侍りしよりなむ、冬の夜の雪ふれる夜は思ひ知られて、火桶などを抱きても、必ず出で居てなむ見られ侍る。おまへたちも、必ずさ思すゆゑ〔春をよしと思ふ所以〕侍らむかし。さらば、今宵よりは、くらき闇の夜のしぐれうちせむは、また心にしみ侍りなむかし。齋宮の雪の夜におとるべき心地もせずなむ」などいひて別れにし後は、誰と知られじと思ひしを、又の年〔長久四年〕の八月(はづき)に、内へいらせ給ふに、夜もすがら殿上にて御遊(おんあそび)ありけるに、この人の侍(さぶら)ひけるも知らず。その夜はしもにあかして、細殿の遣戸を押しあけて見出したれば、曉がたの月の、あるかなきかにをかしきを見るに、沓の聲聞えて、讀經などする人もあり。讀經の人は〔一本になし〕、この遣戸口に立ちとまりて、物などいふに答へたれば、ふと思ひ出でて、「時雨の夜こそ、片時わすれず戀しく侍れ」といふに、ことながう答(こた)ふべき程ならねば、
何さまで思ひ出でけむなほざりの木の葉にかけし時雨ばかりを
ともいひやらぬを、人々また來あへば、やがてすべり入りて、その夜さりまかンでにしかば、もろともなりし人尋ねて、返(かへし)〔返歌〕したりしなども、後にぞ聞く。ありし時雨のやうならむに、いかで琵琶の音のおぼゆるかぎり彈きて聞かせむとなむある、と聞くに、ゆかしくて我もさるべき折を待つに更になし。春比ののどやかなる夕つ方、參りたりと聞きて、その夜、もろともなりし人とゐざり出づるに、外に人々まゐり、内にも例の人々あれば、いでまかンで入りぬ。あの人もさや思ひけむ、しめやかなる夕暮を、推し量りて參りたりけるに、騷しかりければ、まかンづめり。
かしまみてなるとの浦にこがれ出づるこころはえきや磯のあま人
と許にてやみにけり。あの人柄もいとすくよかに、世の常ならぬ人にて、その人はかの人はなども、尋ね問はで過ぎぬ。