東路の道のはてよりも、なほ奧つかたに生ひ出(で)たる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世中に物語といふもののあなるを、いかで見ばやと思ひつゝ、徒然なるひるまよひゐなどに、姉、繼母などやうの人々の、その物語かの物語、光源氏〔源氏物語〕のあるやうなど、ところ〴〵語るを聞くに、いとゞゆかしさまされど、我が思ふまゝに、そらにいかでか覺え語らむ。いみじく心もとなき〔覺束なき〕まゝに、等身(とうしん)〔人とひとしき身長の佛像〕に藥師佛(ぶつ)を作りて、手洗などしてひとま〔人の來ぬ間〕に密(みそか)に入りつゝ、京(みやこ)にとくのぼせ給ひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せ給へ、と身を捨てて額(ぬか)をつき〔禮拜す〕祈り申すほどに、十三になる年のぼらむとて、九月(ながづき)三日かどでして、今立(いまだち)といふ所にうつる。年ごろ遊びなれつる所を、あらはに毀ちちらして立ちさわぎて、日の入際のいとすごく霧わたりたるに、車に乘るとてうち見やりたれば、ひとまには參りつゝ額をつきし、藥師佛の立ち給へるを、見捨て奉るかなしくて、人知れずうち泣かれぬ。

更級日記 - 2 門出したる所は
門出したる所は、めぐり〔垣根〕などもなくて、かりそめの茅屋の蔀などもなし。簾かけ幕など引きたり。南ははるかに野のかた見やらる。東西(ひがしにし)は海ちかくていとおもしろし。夕霧たち渡りて、いみじうをかしけれ〔面白し〕ば、朝寢(あさい)などもせず、かた〴〵見つゝ、こゝを立ちなむ事もあはれに悲しきに、おなじ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、下野國いかたといふ所にとまりぬ。庵なども、浮きぬばかりに雨降りなどすれば、恐しくて寢も寢られず。野中に岡だちたる所に、たゞ木ぞ三つ立てる。その日は、雨にぬれたる物どもほし、國に立ちおくれたる人々待つとて、そこに日を暮しつ。
更級日記 - 3 十七日のつとめて立つ
更級日記 - 3 十七日のつとめて立つ
十七日のつとめて立つ。昔下總(しもつふさ)國に、眞野の長(をさ)といふ人住みけり。引布を千むら萬むら織らせ、晒させけるが家の跡とて、ふかき川を舟にて渡る。むかしの門の柱のまだ殘りたるとて、おほきなる柱川の中に四つ立てり。人々歌よむを聞きて、心のうちに、
朽ちもせぬこの川柱のこらずばむかしのあとをいかで知らまし
その夜は黑戸濱(くろどのはま)〔上總國に在り〕といふ所にとまる。片つ方は廣やかなる所の、砂子はる〴〵と白きに、松原しげりて、月いみじうあかきに、風の音もいみじう心ぼそし。人々をかしがりて、歌よみなどするに、
まどろまじこよひならではいつか見むくろどの濱の秋の夜の月
更級日記 - 4 その翌朝そこを立ちて
更級日記 - 4 その翌朝そこを立ちて
その翌朝(つとめて)そこを立ちて、下總と武藏の境にて、あすだ川〔隅田川の古名〕といふ、在五中將〔在原業平〕の、いざこと問はむと詠みける渡なり。中將の集には隅田川とあり。かゞみのせ、まつさとの渡(わたり)の津にとまりて、夜一夜、舟にてかず〳〵物などわたす。乳母なる人は、男などもなくなして〔乳母の夫うせて〕、さかひにて子産みたりしかば、離れて別(べち)にのぼる。いと戀しければ往かまほしく思ふに、兄(せうと)なる人〔和泉守定義〕抱きゐて往きたり。皆人はかりそめの假屋などいへど、風すさまじく引綿〔綿を引被ること歟〕などもしなどしたるに、これは男〔乳母の夫〕なども添はねば、いと手ばなちにあら〳〵しげに、苫といふものを一重うち葺きたれば、月のこりなくさし入りたるに、紅(くれなゐ)の衣うへに著て、うちなやみて臥したる。月影さやうの人にはこよなく透きて、いと白く清げにて珍しと思ひて、かき撫でつゝうち泣くを、いとあはれに見捨てがたく思へど、いそぎ出で別るゝ心地、いと飽かずわりなし。俤(おもかげ)に覺えて悲しければ、月の興も覺えず屈(くん)じ臥しぬ。つとめて舟に車かき据ゑて渡して、あなたの岸に車ひき立てて、送りに來つる人々、これより皆かへりぬ。のぼるは〔都に上る人は〕宿(とまり)などしていき別るゝ程、行くも留るも皆泣きなどす。をさな心地にもあはれに見ゆ。
更級日記 - 5 今は武藏國になりぬ
更級日記 - 5 今は武藏國になりぬ
今は武藏國になりぬ。殊にをかしき所も見えず。濱も砂子(すなご)白くなどもなく、こひぢのやうにて、紫生ふと聞く野〔武藏野〕も、芦荻のみ高く生ひて、馬に乘りて弓もたるすゑ見えぬまで高く生ひ茂りて、中をわけ行くに、たけしばといふ寺あり、遙にいゝさらふといふ所の、廊のあとの礎(いしずゑ)などあり。「いかなる所ぞ」と問へば、「これは古(いにしへ)竹芝といふさがなき國人のありけるを、火燒屋(ひたきや)の火たく衞士にさし奉りたりけるに、御前の庭を掃くとて、「などや苦しき目を見るらむ。わが國〔武藏をさす〕に七つ三つ作り居(す)ゑたる酒壺に、さしわたしたる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見でかくてあるよ」と獨(ひとり)打ちつぶやきけるを、その時帝の御女(おんむすめ)、いみじうかしづかれ給ふ、只ひとり御簾の際に立ち出で給ひて、柱にかゝりて御覽ずるに、この男の斯くひとりごつを、いと哀にいかなる瓢のいかに靡くらむ、といみじうゆかしく思されければ、御簾を押しあげて、「あの男(をのこ)こち寄れ」と召しければ、かしこまりて、勾欄のつらに參りたりければ、「言ひつる事いま一返(ひとかへり)、我にいひて聞かせよ」と仰せければ、酒壺のこと今ひとかへり申しければ、「我ゐて往きて見せよ。さいふやうあり」と仰せられければ、かしこく恐しく思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひ奉りて下るに、便なく人追ひて來らむ、と思ひて、その夜、瀬多橋のもとに此宮を居ゑ奉りて、瀬多橋を一間(ひとま)ばかり毀ちて、それを飛びこえて、此宮をかき負ひ奉りて、七日七夜といふに、武藏國に行き著きにけり。帝、后、御子(みこ)うせ給ひぬ、と思し惑ひもとめ給ふに、「武藏國の衞士〔諸國より召されて内裡を守る武士〕の男なむ、いとかうばしきものを頸に引きかけて、飛ぶやうに迯げける」と申し出でて、此男を尋ぬるに、なかりけり。論なくもとの國にこそ行くらめ、と朝廷(おほやけ)より使くだりて追ふに、瀬多橋毀(こぼ)れてえ行きやらず。三月(やよひ)といふに、武藏國に往きつきて、この男を尋ぬるに、此御子、おほやけの使を召して、「われ、さるべきにやありけむ、この男の家ゆかしくて率て行け、といひしかば、率てきたり。いみじくこゝありよく〔住みよく〕覺ゆ。この男罪にしうせられば、われは如何にあれど、これも、前の世にこの國に跡をたるべき宿世こそありけめ。はやかへりて、朝廷にこのよしを奏せよ」と仰せられければ、いはむ方なくてのぼりて、帝に、斯くなむありつる、と奏しければ、いふかひなし。その男を罪しても、今はこの宮を取りかへし、都にかへし奉るべきにもあらず。竹芝の男に、生けらむ世のかぎり武藏國をあづけ取らせて、おほやけ事〔租調〕もなさせじ。たゞ宮にその國を預け奉らせ給ふ由の宣旨下りにければ、此家を内裏(うち)の如く造りて、すませ奉りける家を、宮などうせ給ひにければ、寺になしたるを、竹芝寺といふなり。その宮のうみ給へる子どもは、やがて武藏といふ姓(しゃう)を得てなむありける。それより後、火燒屋〔夜番の爲め衞士の篝を焚き居る舍〕に女は居るなり」とかたる。
更級日記 - 6 野山芦荻の中を
更級日記 - 6 野山芦荻の中を
野山芦荻の中を分くるより外のことなくて、武藏と相摸(さがみ)との中にふとゐ川あり。舟にて渡りぬれば、相摸國になりぬ。にしとみといふ所の山、繪よく書きたらむ屏風を立て並べたらむやうなり。片つ方は、海濱の樣も寄返る浪の景色も、いみじくおもしろし。もろこしが原〔相模國〕といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日行く。夏は倭瞿麥(やまとなでしこ)の濃く薄く、錦をひけるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬといふに、なほ所々はうちこぼれつゝ、あはれげに咲きわたれり。もろこしが原に倭瞿麥の咲きけむこそなど、人々をかしがる。
更級日記 - 7 足柄山といふは
更級日記 - 7 足柄山といふは
足柄山といふは、四五日(か)かねて恐しげに暗がりわたり、やう〳〵入りたつ麓のほどだに、空の氣色はか〴〵しくも見えず、えもいはず茂り渡りて、いと恐しげなり。麓にやどりたるに、月もなく暗き夜の闇に惑ふやうなるに、あそび〔遊女〕三人、何處(いづく)よりともなく出できたり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる十四五なるとあり。庵(いほ)のまへに傘(からかさ)をさゝせて居ゑたり。男ども火をともして見れば、昔こはだ〔古の名妓か〕といひけむが孫(まご)といふ。髪いと長く額いとよくかゝりて、色しろくきたなげなくて、さてもありぬべき下仕(したづかへ)などにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、聲すべて似るものなく、空にすみのぼりてめでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、けぢかくて人々もて興ずるに、「西國(にしくに)のあそびは、えかゝらじ」などいふを聞きて、「難波わたりにくらぶれば〔今樣の一句〕」とめでたく歌ひたり。見る目のいときたなげなきに、聲さへ似る物なく歌ひて、さばかり恐しげなる山中(やまなか)に立ちて行くを、人々あかず思ひて皆泣くを、をさなき心地には、まして此宿(やどり)を立たむことさへ飽かずおぼゆ。まだ曉より足柄を越ゆ。まいて山の中の恐しげなる事いはむかたなし。雲は足の下にふまる。山のなから許の木(こ)の下のわづかなるに、葵(あふひ)の唯三筋ばかりあるを、世はなれて、かゝる山中にしも生ひ出でけむよ、と人々あはれがる。水は其山に三所(みところ)流れたる、辛うじて越え出でて關山にとゞまりぬ。これよりは駿河なり。よこばしりの關の傍に岩壺といふ所あり。えもいはず大なる石の四方なる中に、穴のあきたる中より出づる水の、清くつめたき事かぎりなし。
更級日記 - 8 富士山はこの國なり
更級日記 - 8 富士山はこの國なり
富士山(ふじのやま)はこの國なり。わが生ひ出でし國にては、西面に見えし山なり。その山の樣、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山のすがたの、紺青(こんじゃう)を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなく積りたれば、色濃き衣に白き袙(あこめ)〔裝束の時用ゆる短き下著〕著たらむやうに見えて、山の巓(いたゞき)のすこし平ぎたるより煙(けぶり)は立ちのぼる。夕暮は火の燃え立つも見ゆ。
清見が關は、片つ方は海なるに、關屋ども數多ありて、海までくぎぬき〔柵〕したり。煙あふにやあらむ、清見が關の浪も高くなりぬべし。おもしろき事かぎりなし。田子浦は浪たかくて、舟にて漕ぎめぐる。沼尻といふ所もするすると過ぎて、大井川といふ渡あり。水の瀬の常ならず、すりこ〔磨粉〕などを濃くて流したらむやうに、白き水はやく流れたり。
更級日記 - 9 富士川といふは
更級日記 - 9 富士川といふは
富士川といふは、富士山より落ち來る水なり。その國の人の出でて語るやう、「一歳(ひととせ)ごろ物にまかりたりしに、いと暑かりしかば、この水のつら〔水面〕に休みつゝ見れば、川上のかたより黄なるもの流れ來て、物につきてとゞまりたるを見れば、反古(ほぐ)なり。とりあげて見れば、黄なる紙にして、濃くうるはしく書かれたり。あやしくて見れば、來年なるべき國どもを、除目〔任官の公事〕のごと皆かきて、この國來年あぐべき〔國守の滿期〕にも守なして、又〔塙本「文」〕そへて二人〔國守一人、後任者一人〕をなしたり。怪しあさましと思ひて、とり上げて干してをさめたりしを、かへる年の司召などは、今年この山に、そこばくの神々あつまりて爲い給ふなりけりと見給へし、めづらかなることに侍(さぶら)ふ」とかたる。
更級日記 - 10 沼尻といふ所も
更級日記 - 10 沼尻といふ所も
いみじく煩ひ出でて遠江にかゝる。小夜中山など越えけむ程も覺えず、いみじく苦しければ、天龍といふ川のつら〔河邊〕に、假屋つくり設けたりければ、そこにて日比(ひごろ)すぐる程にぞ、やう〳〵おこたる〔苦しさが〕。冬深くなりたれば、河風はげしく吹き上げて、堪へがたく覺えけり。その渡(わたり)しつゝ濱名橋に著いたり。濱名橋くだりし時は、黑木を渡したりし、この度は跡だに見えねば、舟にてわたる。入江に渡せし橋なり。外(と)の海はいといみじく荒く、浪高くて、入江のいたづらなる洲どもに、ことものもなく、松原の茂れる中より、浪の寄せかへるも、いろ〳〵の玉のやうに見え、實(まこと)に松の末より浪は越ゆるやうに見えて、いみじくおもしろし。
更級日記 - 11 それよりかみは
更級日記 - 11 それよりかみは
それよりかみは、井の鼻といふ坂の、えもいはず侘しきをのぼりぬれば、三河國高師濱といふ。しかすがの渡、實(げ)に思ひ煩ひぬべくをかし。八橋〔杜若の名所〕は名のみして、橋のかたもなく何の見所もなし。
二村山の中にとまりたる夜、おほきなる柿の木(こ)の下(もと)に庵(いほり)をつくりたれば、夜ひと夜庵のうへに、柿の落ちかゝりたるを、人々拾ひなどす。宮路山といふ所越ゆるほど、十月晦日(つごもり)なるに、紅葉(もみぢ)してさかりなり。
嵐こそ吹き來ざりけれみやぢ山まだもみぢ葉の散らでのこれる
更級日記 - 12 尾張國鳴海浦を
更級日記 - 12 尾張國鳴海浦を
三河と尾張となる尾張國鳴海浦を過ぐるに、夕潮たゞみちにみちて、今宵宿からむも、ちうげん〔中程〕に潮みち來なばこゝをも過ぎじと、あるかぎり走り惑ひ過ぎぬ。美濃國なる境に、すのまたといふ渡して、野上といふ所につきぬ。そこに遊びども出で來て、夜ひと夜うたふに、足柄なりしおもひ出でられて、哀に戀しきこと限なし。雪ふりあれ惑ふに、物の興もなくて、不破の關、あつみの山など越えて、近江國おきなかといふ人の家にやどりて、四五日あり。みつさか山の麓に、よるひる、時雨、霰降りみだれて、日の光もさやかならず、いみじう物むつかし。そこを立ちて、犬上、神崎、野洲(やす)、くる本などいふ所々、何となく過ぎぬ。湖の面はる〴〵として、なでしま、竹生島(ちくぶじま)などいふ所々の見えたる、いとおもしろし。瀬多橋、皆くづれて渡りわづらふ。
更級日記 - 13 粟津にとゞまりて
更級日記 - 13 粟津にとゞまりて
粟津にとゞまりて、十二月(しはすの)二日京に入る。くらく〔夜に入りて〕往き著くべしと、申の時ばかりに立ちて行(ゆ)けば、關〔逢坂關〕ちかくなりて、山づらにかりそめなるきりかけ〔板塀に似たるもの〕といふ物したる上(かみ)より、丈六の佛〔一丈六尺の佛像〕のいまだ荒作(あらづくり)におはするが、顔ばかり見やられたり。あはれに人ばなれて、何處(いづこ)ともなくておはする佛かな、と打見やりて過ぎぬ。こゝらの〔數多の〕國々を過ぎぬるに、駿河の清見が關と、逢坂關とばかりはなかりけり〔風景のよきは〕。いと暗くなりて、三條宮原子内親王〕の西なる所につきぬ。
更級日記 - 14 ひろぐとあれたる所の
更級日記 - 14 ひろぐとあれたる所の
ひろ〴〵とあれたる所の過ぎ來つる山々にもおとらず、おほきに恐しげなる深山木どものやうにて。
都の中とも見えぬ所のさまなり。ありもつかず、いみじう物騷しけれども、いつしかと思ひし事なれば、「物語もとめて見せよ見せよ」と母を責むれば、三條殿宮に、親族なる人の衞門命婦とて侍ひける、尋ねて文やりたれば、珍しがりて、よろこびて、「御前のをおろしたる〔御前にありし草紙を頂戴したり〕」とて、わざとめでたき草紙ども、硯の箱の葢(ふた)に入れておこせたり。嬉しくいみじくて、夜晝これを見るよりうち初(はじめ)、また
〳〵も見まほしきに、ありもつかぬ京(みやこ)のほとりに、誰かは物語もとめ見する人のあらむ。
更級日記 - 15 繼母なりし人は
更級日記 - 15 繼母なりし人は
繼母なりし人は、宮仕せしが下りしなれば、思ひしにあらぬ事どもなどありて、世中うらめしげにて、外に渡るとて、五つばかりなる兒どもなどして、「哀なりつる心のほどなむ、忘れむ世あるまじき」などいひて、梅の木のつま〔軒〕近くて、いと大なるを、「これが花の咲かむ折は、來むよ」と言ひおきて渡りぬるを、心のうちに戀しくあはれなり、と思ひつゝ、忍びねをのみ泣きて、その年もかへりぬ〔治安元年〕。いつしか梅咲かなむ、來むとありしを、さやある〔音信やある〕、と目をかけて待ちわたるに、花もみな咲きぬれど音もせず、思ひわびて、花を折りてやる。
たのめしをなほや待つべき霜がれし梅をも春はわすれざりけり
といひやりたれば、哀なる事ども書きて、
なほたのめ梅の立枝(たちえ)はちぎりおかぬ思ひのほかの人も問ふなり
更級日記 - 16 その春世の中いみじう譟しうて
更級日記 - 16 その春世の中いみじう譟しうて
その春、世の中いみじう譟(さわが)しうて、まつざとの渡の月影〔前に見ゆ〕、あはれに見し乳母も、三月(やよひ)朔日(ついたち)になくなりぬ。せん方なく思ひなげくに、物語のゆかしさも覺えずなりぬ。いみじく泣きくらして見出したれば、夕日のいと花やかにさしたるに、櫻の花のこりなく散りみだる。
散る花もまた來む春は見もやせむやがてわかれし人ぞこひしき
また聞けば、侍從大納言の御女、なくなり給ひぬなり。殿の中將〔長家〕のおぼしなげくなる樣、我が物の悲しき折なれば〔乳母に先だたれて〕、いみじく哀なりと聞く。のぼりつきたりし時、これ手本にせよとて、この姫君の御手(おんて)を取らせたりしを、小夜ふけて寢ざめざりせば〔「郭公人傳にこそ聞くべかりけれ」拾遺集の歌〕、など書きて、
鳥部山谷にけぶりの燃えたらばはかなく見えしわれと知らなむ
といひ知らずをかしげに、めでたく書き給へるを見て、いとゞ涙をそへまさる。
更級日記 - 17 かくのみ思ひ屈じたるを
更級日記 - 17 かくのみ思ひ屈じたるを
かくのみ思ひ屈じたるを、心も慰めむと心ぐるしがりて、母、物語などもとめて見せ給ふに、實(げ)におのづから慰みゆく。紫のゆかり〔源氏物語〕を見つゝ、つゞきの見まほしく覺ゆれど、人語らひなどもえせず。されどいまだ京(みやこ)なれぬほどにて、え見つけずいみじく心もとなく、ゆかしく覺ゆるまゝに、この源氏物語(げんじのものがたり)一の卷よりして、みな見せ給へ、と心のうちにいのる。親の太秦に籠り給へるにも、こと事なく、此事を申して出でむまゝに、この物語見はてむと思へど見えず。いと口惜しく思ひなげかるゝに、叔母なる人の田舍よりのぼりたる所に渡いたれば、「いと美しうおひなりにけり」など、あはれがり珍しがりて、かへるに、「何をか奉らむ。まめ〳〵しきものは、まさなかりなむ〔一本「まだなかりなむ」〕。ゆかしくし給ふなる物を奉らむ」とて、源氏の五十餘卷、櫃に入りながら、在中將、とほぎみ、せり川、しらゝ、あさうづなどいふ物語ども、一袋とり入れてえて歸る心地の嬉しさぞいみじきや。はしるはしる僅に見つゝ、心もえず、心もとなく思ひ、源氏を一の卷よりして、人も交らず、几帳のうちにうち臥して、ひき出でつゝ見る心地、后の位も何にかはせむ。晝は日ぐらし、夜(よる)は目の覺めたるかぎり、火を近くともして、これを見るより外の事なければ、おのづから名などはそらにおぼえ浮ぶを、いみじき事に思ふに、夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟著たるが來て、「法華經五卷(まき)を疾く習へ」といふと見れど、人にもかたらず、習はむとも思ひかけず、物語のことをのみ心にしめて、我はこの比わろきぞかし〔容貌見苦し〕。さかりにならば、かたちも限なくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光源氏の夕顔、宇治の大將(たいしゃう)の浮舟の女君のやうにこそあらめ、と思ひける心、まづいとはかなく淺まし。
更級日記 - 18 五月朔日ごろ
更級日記 - 18 五月朔日ごろ
五月(さつき)朔日ごろ、つま〔軒の〕ちかき花橘の、いと白く散りたるをながめて、
時ならず降る雪かとぞながめまし花たちばなのかをらざりせば
足柄といひし山の麓に、闇(くら)がり渡りたりし木の樣(やう)に茂れる所なれば、十月(かみなづき)ばかりの紅葉、四方の山邊よりも、實にいみじくおもしろく、錦をひける樣なるに、外(ほか)よりきたる人の、「今まゐりつる道に、紅葉のいとおもしろき所のありつる」といふに、ふと、
いづこにもおとらじものを我宿の世をあきはつる氣色ばかりは〔續千載集に入る〕
更級日記 - 19 物語のことを
更級日記 - 19 物語のことを
物語のことを、晝は日ぐらし思ひつゞけ、夜(よ)も目のさめたるかぎりは、これをのみ心にかけたるに、夢に見るやう、この比、皇太后宮(くゎうたいこうぐう)〔三條院皇后研子〕の一品宮〔貞子、陽明門院〕の御料に、六角堂に遣水をなむつくる、といふ人あるを、そはいかに、と問へば、天照大神を念じませ、といふと見て、人にもかたらず、何ともおもはでやみぬる、いといふかひなし。春ごとに、この一品宮をながめやりつゝ、
咲くとまち散りぬとなげく春はただわがやどがほに花を見るかな
三月(やよひ)晦日(つごもり)がた、土忌(つちいみ)〔土を忌む日暦にあり〕に人のもとに渡りたるに、櫻のさかりに面白く今まで散らぬもあり。かへりて又の日、
あかざりし宿のさくらを春くれて散りがたにしもひとり見しかな
といひにやる。
更級日記 - 20 花の咲き散る折毎に
更級日記 - 20 花の咲き散る折毎に
花の咲き散る折毎に、乳母なくなりし折ぞかし、とのみ哀なるに、おなじ折なくなり給ひし、侍從大納言の御(おん)女の書(ふみ)を見つゝすゞろに哀なるに、五月(さつき)ばかり夜ふくるまで、物語を讀みておき居たれば、來つらむ方も見えぬに、猫のいと長う啼いたるを、驚きて見れば、いみじうをかしげなる猫あり。いづくより來つる猫ぞと見るに、姉なる人、「あなかま〔禁止の詞〕、人に聞かすな。いとをかしげなる猫なり、かはむ」とあるに、いみじう人馴れつゝ傍にうち臥したり。尋ぬる人やある、とこれを隱してかふに、凡て下衆のあたりにも寄らず、つと前にのみありて、物もきたなげなるは、ほかざまに顔をむけてくはず。姉弟(おとゝ)の中に、つとまとはれて、をかしがりらうたげなる程に、姉の惱む事あるに、物さわがしくて、この猫を北面(きたおもて)にのみあらせて、呼ばねば、かしがましく啼きのゝしれども、猶さるにてこそは、と思ひてあるに、わづらふ姉おどろきて、「いづら、猫はこちゐてことあるを」など問へば、夢にこの猫の側に來て、「己は、侍從大納言殿の御女のかくなりたるなり。さるべき縁のいさゝかありて、この中の君の、すゞろに哀とおもひ出で給へば、たゞ暫(しばし)こゝにあるを、このごろ下衆の中にありて、いみじうわびしき事」といひて、いみじう泣くさまは、あてに〔貴く〕をかしげなる人と見えて、うち驚きたれば、この猫の聲にてありつるが、いみじく哀なり。その後は、この猫を北面にも出さず、思ひかしづく。唯ひとり居たる所に、この猫がむかひ居たれば、掻い撫でつゝ、「侍從大納言の姫君のおはするな。大納言殿に、知らせ奉らばや」と言ひかくれば、顔をうちまもりつゝ、長う啼くも心の思なし、目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞き知り顔にあはれなり。


